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ショパンコンクールinASIA

ショパン ピアノ協奏曲(ベスト盤)

IMCM-1014

ピアノ:クシシュトフ・ヤブウォンスキ (Krzysztof Jablonski)

今なお世界中でその卓越した技巧と情熱溢れる演奏で人々を魅了し続けてるクシシュトフ・ヤブウォンスキ。本作品は1985年、第11回ショパンコンクールで第3位受賞後、破竹の勢いで躍進している、1989年にポーランドで録音されました。この度、ファンの皆様からの要望にお応えしてベスト盤として登場です。

2014年7月15日発売
※過去に発売していた協奏曲のCD(IMCM-1003他)と同内容になります

収録曲目

フレデリック・ショパン

01-03. ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 Op.11
04-06. ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 Op.21

指揮:ローラント・バーダー
クラクフ・フィルハーモニー管弦楽団

ショパン 4つのスケルツォ&ピアノ・ソナタ第3番

IMCM-1009

ライナーノートより(一部抜粋)

ヤブウォンスキというと、すぐに1985年の第11回ショパン国際ピアノ・コンクールが思い出される。このときヤブウォンスキは第3位を獲得したが、その回は稀に見る激戦であり、第1位スタニスラフ・ブーニン、第2位マルク・ラフォレ、第4位小山実稚恵、第5位 ジャン=マルク・ルイサダ、そして第6位タチアナ・ピカイゼンという、いずれも現在世界の第一線で活躍している入賞者の顔ぶれからも、その高水準ぶりが如実に窺われるのである。

しかしながら、今のヤブウォンスキは23年前の彼ではない。あれからじっくりと研鑚を積み、また探求を深めたのであろう。40代を迎えたヤブウォンスキからは、刮目すべき独自の方向性と熟成が十二分に感じられるのだ。

もとより美しい独特の音色は煌くような透明感を携えながら馥郁たる彩りを纏い、グラデーションのように精妙に変化していく。そしてヤブウォンスキの鋭敏な感性は、揺るぎ無い磐石のテクニックに支えられて、音楽それ自体の存在感を一層際立たせるのだ。このCDは、そういう閃きとアイディアが渾然一体と詰め込まれた垂涎のアルバムに仕上がった。ここではあくまでも自然な流れの中に、デモーニッシュなショパンやコケテッシュなショパン、或いはチャーミングなショパンなど、万華鏡のように変幻自在なショパンが顔を覗かせる。それに加えてアルバム全体からは、瑞々しい気品が湛えられた芳醇なロマンが一貫して立ち昇ってくるのである。

日々深化しつつあるヤブウォンスキこそ、ショパンの魂の継承者であることは間違いない。(真嶋 雄大)

収録曲目

フレデリック・ショパン

01. スケルツォ 第1番 ロ短調 作品20
02. スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
03. スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39
04. スケルツォ 第4番 ホ長調 作品54

ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 作品58
05. 第1楽章 アレグロ・マエストーソ
06. 第2楽章 スケルツォ モルト・ヴィヴァーチェ
07. 第3楽章 ラルゴ
08. 第4楽章 フィナーレ プレスト・ノン・タント

プロフィール

1965年ポーランドのヴロツワフに生まれる。6歳の時ヤニナ・ブートル氏に師事し12歳まで指導を受ける。最初の演奏会は、12歳の時オーケストラとの共演であった。ポーランドで開催された数々のコンクールで第1位に入賞する。15歳の時、最年少参加者として、ミラノで開催されたピアノ・コンクールにて、第5位に入賞。それからまもなく審査委員長を務めていたニキタ・マガロフ教授に招かれ、スイスのジュネーブで開催されたマスタークラスに参加。1983年から1986年まで、ポーランドのカトヴィッツェ音楽院にて、アンジェイ・ヤシンスキ教授の指導を受ける。1987年優秀な成績で同音楽院を卒業、 1996年にはP.h.Dを取得。

1985年ワルシャワで開催された第11回ショパン国際ピアノ・コンクールにて第3位に入賞。それと同時に数々の副賞も受賞する。同コンクール入賞後、国内外の各地より演奏会の依頼を受ける。彼の際立った音楽的才能は、その他の著名なコンクールでも認められていた。USAパームビーチ第2回国際ピアノ・コンクール(1988年)では第1位並びに最優秀ショパン賞を、イタリアのモンツァ第10回国際ピアノ・コンクール (1988年)でも第1位を獲得、アイルランドのダブリンGPA国際ピアノ・コンクール(1988年)にて第2位。第4回アルトン・ルビンシュタイン国際ピアノ・マスターコンクール(1989年)にて金賞、ニューヨーク・ウォルター・ナウムブルグ財団国際ピアノ・コンクール(1992年)入賞、カナダのカルガリーでの第1回イーザー・オーネス国際ピアノ・コンクール(1992年)で第2位入賞。

20代はヨーロッパを初め、北アメリカ・メキシコ・イスラエル、そして日本でツアーに参加している。演奏した会場はベルリンフィルハーモニー(ここではマスターコンサートシリーズに2回登場した)、ライプチッヒのゲバントハウス、ドレスデンのセンペルオパー、パリのサル・カヴォー、ワルシャワのナショナルフィルハーモニーホール、モスクワのボリショイ劇場、コペンハーゲンのチヴォリコンサートホール、テル・アヴィヴのF.マンアウディトリウム、ハイファアウディチリウム、ニューヨークのアリスチューリーホールなどがあり、共演した指揮者たちもM.ベルナルディ、A.ボレイコ、S.コミッショナー、K.カスプシク、J.ロペ-コボス、G.ノヴァク、K.ペンデレッキ、W.ロヴィツキ、Y.テズカ、R.ゾルマンら錚々たる顔ぶれである。室内楽においても、ディザート・ストリング、イスラエル弦楽オーケストラ・弦楽四重奏、A.クルカ、T.ストラール、W.ウィルコミルスカと共演。

一方テレビラジオなどの録音も国際的に行っている。1998年2月J.クレンツ指揮シンフォニア・ヴァルソヴァイアとショパンのクラコヴィアクを演奏、この演奏会はヨーロッパの23のラジオ局でライヴ放送され、ヨーロッパ・ラジオユニオン(EBU)の記念行事の一環としても取り上げられた。1998-1999年のシーズンには、ショパン年に伴い、世界各地の記念行事に招待される。ショパン没後150周年を記念して、ワルシャワの国立歌劇場で開催された演奏会に出演、また、モスクワのボリショイ劇場で開かれた、ロシアにおけるショパン年記念演奏会にも出演する。1999年には「フォルテピアニシモ」というバレエ音楽の演奏を依頼される。2幕からなるこのバレエはショパンの音楽に基づいて構成されており、振り付けはロルカ・マッシーネが担当した。このピアノとバレエの競演という他に類をみない公演は、ワルシャワ国際歌劇場にて6回上演された。

1999年クシシュトフ・ヤブウォンスキは、トルコにおける「ショパン年」に貢献した功績と、クラシック音楽普及に尽力した功績によりトルコ文化省より表彰された。後進の指導にも力を入れており、毎年、ワルシャワショパン音楽院主催のサマーセミナーにもピアニスト・講師として出演。2004年からは同音楽院にて、ピアノ科教授として指導にあたっている。

2005年には第15回ショパン国際ピアノコンクールの審査員に選出された。また同年から、ショパン国際ピアノコンクールin ASIAにおいても審査員を務めている。現在、カナダのカルガリー在住。

ベートーヴェン 3大ソナタ 「悲愴」「月光」「熱情」

IMCM-1010

ショパン国際ピアノコンクール第11回第3位入賞 / 第15回審査員。

緊迫感と豪快さを失わないエネルギーに満ちあふれた演奏!

3曲全体で一つのドラマを見せる、ヤブウォンスキならではの新しい三大ソナタ!!

「2009年レコード・アカデミー賞録音部門」受賞エンジニア小坂浩徳氏による録音!

ライナーノートより(一部抜粋)

ベートーヴェンの三大ソナタが収められたアルバムそれ自体は何も珍しいものではないし、中堅世代の名手にもこと欠かないピアノ界ではある。しかし、ヤブウォンスキが繰り広げるベートーヴェンの世界は、生命力が凝縮された力強い説得力に満ちあふれており、感銘はすこぶる大きい。それは近年、聴く機会の少なくなった英雄的ベートーヴェン像ということもできるが、ヤブウォンスキの素晴らしいところは、そうした輝きの背景には、ハッとするような陰影感が確保されており、詩情と気品、芳しい香りと幻想性までが兼ね備えられている点であろう。また三曲全体で一つのアルバムとしての魅力、起伏とドラマを見せてしまう辺りも、近年のヤブウォンスキならではの成果と言えよう。
 充実したヤブウォンスキの現在を知らしめる密度濃いベートーヴェンの新録音である。

収録曲目

L.v.ベートーヴェン

ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 Op.13「悲愴」
01.第1楽章
02.第2楽章
03.第3楽章

ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op.27-2「月光」
04.第1楽章
05.第2楽章
06.第3楽章

ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 Op.57「熱情」
07.第1楽章
08.第2楽章
09.第3楽章

プロフィール

1965年ポーランドのヴロツワフに生まれる。6歳の時ヤニナ・ブートル氏に師事し12歳まで指導を受ける。最初の演奏会は、12歳の時オーケストラとの共演であった。ポーランドで開催された数々のコンクールで第1位に入賞する。15歳の時、最年少参加者として、ミラノで開催されたピアノ・コンクールにて、第5位に入賞。それからまもなく審査委員長を務めていたニキタ・マガロフ教授に招かれ、スイスのジュネーブで開催されたマスタークラスに参加。1983年から1986年まで、ポーランドのカトヴィッツェ音楽院にて、アンジェイ・ヤシンスキ教授の指導を受ける。1987年優秀な成績で同音楽院を卒業、 1996年にはP.h.Dを取得。

1985年ワルシャワで開催された第11回ショパン国際ピアノ・コンクールにて第3位に入賞。それと同時に数々の副賞も受賞する。同コンクール入賞後、国内外の各地より演奏会の依頼を受ける。彼の際立った音楽的才能は、その他の著名なコンクールでも認められていた。USAパームビーチ第2回国際ピアノ・コンクール(1988年)では第1位並びに最優秀ショパン賞を、イタリアのモンツァ第10回国際ピアノ・コンクール (1988年)でも第1位を獲得、アイルランドのダブリンGPA国際ピアノ・コンクール(1988年)にて第2位。第4回アルトン・ルビンシュタイン国際ピアノ・マスターコンクール(1989年)にて金賞、ニューヨーク・ウォルター・ナウムブルグ財団国際ピアノ・コンクール(1992年)入賞、カナダのカルガリーでの第1回イーザー・オーネス国際ピアノ・コンクール(1992年)で第2位入賞。

20代はヨーロッパを初め、北アメリカ・メキシコ・イスラエル、そして日本でツアーに参加している。演奏した会場はベルリンフィルハーモニー(ここではマスターコンサートシリーズに2回登場した)、ライプチッヒのゲバントハウス、ドレスデンのセンペルオパー、パリのサル・カヴォー、ワルシャワのナショナルフィルハーモニーホール、モスクワのボリショイ劇場、コペンハーゲンのチヴォリコンサートホール、テル・アヴィヴのF.マンアウディトリウム、ハイファアウディチリウム、ニューヨークのアリスチューリーホールなどがあり、共演した指揮者たちもM.ベルナルディ、A.ボレイコ、S.コミッショナー、K.カスプシク、J.ロペ-コボス、G.ノヴァク、K.ペンデレッキ、W.ロヴィツキ、Y.テズカ、R.ゾルマンら錚々たる顔ぶれである。室内楽においても、ディザート・ストリング、イスラエル弦楽オーケストラ・弦楽四重奏、A.クルカ、T.ストラール、W.ウィルコミルスカと共演。

一方テレビラジオなどの録音も国際的に行っている。1998年2月J.クレンツ指揮シンフォニア・ヴァルソヴァイアとショパンのクラコヴィアクを演奏、この演奏会はヨーロッパの23のラジオ局でライヴ放送され、ヨーロッパ・ラジオユニオン(EBU)の記念行事の一環としても取り上げられた。1998-1999年のシーズンには、ショパン年に伴い、世界各地の記念行事に招待される。ショパン没後150周年を記念して、ワルシャワの国立歌劇場で開催された演奏会に出演、また、モスクワのボリショイ劇場で開かれた、ロシアにおけるショパン年記念演奏会にも出演する。1999年には「フォルテピアニシモ」というバレエ音楽の演奏を依頼される。2幕からなるこのバレエはショパンの音楽に基づいて構成されており、振り付けはロルカ・マッシーネが担当した。このピアノとバレエの競演という他に類をみない公演は、ワルシャワ国際歌劇場にて6回上演された。

1999年クシシュトフ・ヤブウォンスキは、トルコにおける「ショパン年」に貢献した功績と、クラシック音楽普及に尽力した功績によりトルコ文化省より表彰された。後進の指導にも力を入れており、毎年、ワルシャワショパン音楽院主催のサマーセミナーにもピアニスト・講師として出演。2004年からは同音楽院にて、ピアノ科教授として指導にあたっている。

2005年には第15回ショパン国際ピアノコンクールの審査員に選出された。また同年から、ショパン国際ピアノコンクールin ASIAにおいても審査員を務めている。現在、カナダのカルガリー在住。

ショパン グレイテスト・ヒッツ

IMCM-1006

『ショパン グレイテスト ヒッツ! ~珠玉の名曲集~』

1985年ショパンコンクール第3位のヤブウォンスキが贈るショパン名曲集。迫力あるライヴレコーディングでお楽しみください。

収録曲目

フレデリック・ショパン

01. ノクターン 第20番 嬰ハ短調 遺作
02. 幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66
03. 前奏曲 変ニ長調 作品28-15 《雨だれ》
04. スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
05. 練習曲 ハ短調 作品10-12 《革命》
06. ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53 《英雄》
07. 前奏曲 ホ短調 作品28-4
08. ノクターン 第19番 ホ短調 作品72-1
09. ワルツ 第3番 イ短調 作品34-2
10. ワルツ 第19番 イ短調 遺作
11. バラード 第1番 ト短調 作品23
12. アンダンテ・スピアナートと
13. 華麗なる大ポロネーズ  変ホ長調 作品22
14. ワルツ 第2番 変イ長調 作品34-1
15. マズルカ 第17番 変ロ短調 作品24-4

プロフィール

1965年ポーランドのヴロツワフに生まれる。6歳の時ヤニナ・ブートル氏に師事し12歳まで指導を受ける。最初の演奏会は、12歳の時オーケストラとの共演であった。ポーランドで開催された数々のコンクールで第1位に入賞する。15歳の時、最年少参加者として、ミラノで開催されたピアノ・コンクールにて、第5位に入賞。それからまもなく審査委員長を務めていたニキタ・マガロフ教授に招かれ、スイスのジュネーブで開催されたマスタークラスに参加。1983年から1986年まで、ポーランドのカトヴィッツェ音楽院にて、アンジェイ・ヤシンスキ教授の指導を受ける。1987年優秀な成績で同音楽院を卒業、 1996年にはP.h.Dを取得。

1985年ワルシャワで開催された第11回ショパン国際ピアノ・コンクールにて第3位に入賞。それと同時に数々の副賞も受賞する。同コンクール入賞後、国内外の各地より演奏会の依頼を受ける。彼の際立った音楽的才能は、その他の著名なコンクールでも認められていた。USAパームビーチ第2回国際ピアノ・コンクール(1988年)では第1位並びに最優秀ショパン賞を、イタリアのモンツァ第10回国際ピアノ・コンクール (1988年)でも第1位を獲得、アイルランドのダブリンGPA国際ピアノ・コンクール(1988年)にて第2位。第4回アルトン・ルビンシュタイン国際ピアノ・マスターコンクール(1989年)にて金賞、ニューヨーク・ウォルター・ナウムブルグ財団国際ピアノ・コンクール(1992年)入賞、カナダのカルガリーでの第1回イーザー・オーネス国際ピアノ・コンクール(1992年)で第2位入賞。

20代はヨーロッパを初め、北アメリカ・メキシコ・イスラエル、そして日本でツアーに参加している。演奏した会場はベルリンフィルハーモニー(ここではマスターコンサートシリーズに2回登場した)、ライプチッヒのゲバントハウス、ドレスデンのセンペルオパー、パリのサル・カヴォー、ワルシャワのナショナルフィルハーモニーホール、モスクワのボリショイ劇場、コペンハーゲンのチヴォリコンサートホール、テル・アヴィヴのF.マンアウディトリウム、ハイファアウディチリウム、ニューヨークのアリスチューリーホールなどがあり、共演した指揮者たちもM.ベルナルディ、A.ボレイコ、S.コミッショナー、K.カスプシク、J.ロペ-コボス、G.ノヴァク、K.ペンデレッキ、W.ロヴィツキ、Y.テズカ、R.ゾルマンら錚々たる顔ぶれである。室内楽においても、ディザート・ストリング、イスラエル弦楽オーケストラ・弦楽四重奏、A.クルカ、T.ストラール、W.ウィルコミルスカと共演。

一方テレビラジオなどの録音も国際的に行っている。1998年2月J.クレンツ指揮シンフォニア・ヴァルソヴァイアとショパンのクラコヴィアクを演奏、この演奏会はヨーロッパの23のラジオ局でライヴ放送され、ヨーロッパ・ラジオユニオン(EBU)の記念行事の一環としても取り上げられた。1998-1999年のシーズンには、ショパン年に伴い、世界各地の記念行事に招待される。ショパン没後150周年を記念して、ワルシャワの国立歌劇場で開催された演奏会に出演、また、モスクワのボリショイ劇場で開かれた、ロシアにおけるショパン年記念演奏会にも出演する。1999年には「フォルテピアニシモ」というバレエ音楽の演奏を依頼される。2幕からなるこのバレエはショパンの音楽に基づいて構成されており、振り付けはロルカ・マッシーネが担当した。このピアノとバレエの競演という他に類をみない公演は、ワルシャワ国際歌劇場にて6回上演された。

1999年クシシュトフ・ヤブウォンスキは、トルコにおける「ショパン年」に貢献した功績と、クラシック音楽普及に尽力した功績によりトルコ文化省より表彰された。後進の指導にも力を入れており、毎年、ワルシャワショパン音楽院主催のサマーセミナーにもピアニスト・講師として出演。2004年からは同音楽院にて、ピアノ科教授として指導にあたっている。

2005年には第15回ショパン国際ピアノコンクールの審査員に選出された。また同年から、ショパン国際ピアノコンクールin ASIAにおいても審査員を務めている。現在、カナダのカルガリー在住。